No.4 札幌まつり〜まつりの準備にワクワク感をふくらませていた〜

 わたしがこどもの頃は、6月と言えば札幌まつりが一番楽しみなイベント。現在は北海道神宮祭だが当時は札幌神社祭で、学校も会社も午前中で終えて家族で札幌まつりに繰り出すのが習慣だった。

 北海道神宮によると、札幌神社と社名が決まったのは明治4年。昭和39年には、明治天皇を増祀(その神社に祀る神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」に改称したとのことだ。

 まつりの楽しみは、「ピーヒャラ、ピーヒャラ、ピーヒャラドン…」という笛や太鼓の音とともに繰り広げられる華やかな渡御行列、さらにはサーカスや見せ物小屋が賑やかに立ち並ぶ縁日だ。だが、わたしにとってはそれ以上に、大人たちのまつり準備が、ワクワク感いっぱいの期待を抱かせるものになっていた。

花飾り  まつりの1週間ほど前になると、表通りにのぼりが立てられ、家々の軒先を彩る飾り物が届く、それは緑の竹ひごに桃色の紙で作った花がついているのだが、花は桜のような形をしていた。何枚か重なった桃色の花びらを剥がすように立体的にすることがわたしの役割だったが、2,3本で飽きてしまい、母親に「ちゃんとやらないとお祭り来ないよ!」と一喝されていた。
街並み 普通はその花飾りを軒にそのまま差すのだが、丸く輪にしたり、輪つなぎにする家もあって、家並みの軒を見て歩くだけで気分は盛り上がっていった。わたしも輪つなぎを真似てみたのだが、力任せに曲げるとささくれ立って折れてしまった。この花飾りが何時頃消えたのかは記憶にないが、あれは竹ひごと紙でなければ風情が無い。雨に濡れると色も落ちて情けない姿になってしまうのだが、色あせていくことが、程よく祭の終わりを感じさせてくれたと思う。

 わたしが住んでいた地域は豊水祭典区で素盞鳴尊(スサノオノミコト)を祀った山車があり、山車に乗るお稚児さんに選ばれることは大変名誉なことだったようだ。もちろん、わたしは選ばれたことがない。お囃子や踊り手はあでやかな芸者さんたち、そして山車を先導するの人たちの募集に父親たちが町内を忙しく回っていた。隣近所の人も歩くのだから、当然のように家族総出で渡御行列が来るのを待つ。山車に先だって御神輿と一緒に賽銭箱とお米とかを入れる箱を担いだ人が来る。この人たちの動きや町のおばさん達とのやり取りがとても面白く、見とれて着いて行っては、近所のおじさん、おばさんに「迷子になるよ〜」と釘をさされていた。

 その昔、南4条通り沿いにも、札幌まつりの縁日や出店が並んだそうだ。わたしがこどもの頃は、創成川に板を渡してサーカスや見せ物小屋が立ち並び、二条市場に向かって創成川沿いに大小さまざまな出店が並ぶ縁日が繰り広げられていた。このなんとも風情のあった光景は、昭和34年にサーカス小屋から出た火事がきっかけで、現在の中島公園に移転されることになった。(つづく…)